一日一工夫

苦手な家事を少しでも楽にするための試行錯誤の日々を綴っています。

働きやすさの基準は人それぞれ〜海外で働いてみてわかったこと

在ロンドンの日系企業で10年働いたのち日本に戻ってきて最初の職場で8ヶ月働いてギブアップした私。
一番の理由は通勤地獄でしたが、生きていくためには働かないわけにはいきません。
歳も50近くで、仕事をより好んでいられる分際でもないのですが、それでも仕事をしている決して少なくない時間をイヤイヤ、苦しんで過ごすのはどうしても嫌でした。だから、どういうことをしている時に自分は幸せなのか?どうすれば気持ちがざわざわしないで安心していられるのかということをすごく考えました。
そんななか、なぜロンドンでは10年間一度も転職をせずに楽しく働けたのか?改めて自分の就労環境を振り返ってみました。
ひとことでいうと「人にどう思われるかより、自分の快適さを最優先して、まわりもそれを気にしない」これにつきると思います。
仕事だけに限らないのですが、街を歩いていると、本っ当〜に色々な服装の人を見かけます。同じ時期にダウンジャケット姿とTシャツ1枚姿の人を同時に見かけるのはざらですし、レギンス女子は体型にかかわらず皆短いトップスを着ておしり周りを隠さないし、そもそも色々な人種・宗教が入り交じっているのでちょっと変わった服装をしたくらいではまったく目立ちません。穴があいてたり、ボタンが取れてたりする人もよーく見かけます。
服装と言えば、制服のある会社で働いている人は家から制服を着て出かけます。バスや地下鉄に乗ると、さまざまな制服姿の人を見かけます。私の仕事も制服があったのですが、家から着ていけて本当に楽でした。「私服の制服化」が近年流行していますが、着るものを選ぶ必要がないというのは本当に楽です。
私の仕事は航空会社の空港での接客業務だったのですが、数ヶ月おきぐらいに飛行機が遅延したり、欠航したりで、長時間の居残りや、泊まり込みをしなければいけないケースも発生していました。そんな時、私の日本でのかつての職場(同業)では居残るのが当たり前、という有無を言わせない圧力があり、とてもとても「用事があるから帰る」などと言える雰囲気ではありませんでした。ですがその私の職場では、当日の責任者が一人一人に「今日残れるか?」と聞いてまわり、たとえ遊びの用事であっても先約は先約として定時で帰ることが許され、余計な言い訳とかも考えずにすみました。
子育て中の父親/母親も残業代を稼ぎたいのなら残ってね、と言う感じで、頭数には最初から入れられていませんでした。
「誰も帰ってないのに、帰るの!?」という冷たい視線がなかったことも、心の平安に貢献していたと思います。
これはまったく個人的な、私の性格として「人に怒られたくない」「目立ちたくない」「放っておいてほしい」というものがあり、こういった職場環境は見事に自分の性格に合っていたと言えるのではないかと思います。
先の記事でも書いた、公休を同僚と交換したり、長期休暇を好きなように組める(その日休める人数は先着順ではありましたが)、といった点も、その日必要な頭数だけ確保されていて業務に支障がないのなら、あとは自由にやっていいという気楽さが安心だったのだと思います。
自分が制約されないのでみな周りの人がなにをしても寛容な職場で、それが自分にはとても合っていました。それでもその権利を悪用(?)して、どう考えても・・・のずる休みを繰り返したり、業務をさぼる人も一定数いて、それが耐えられない、マネージメントなってない、だからこの会社は嫌いだ、と言っている人ももちろんいました。だから何度も言うように、イギリスの職場環境がよくて日本がダメ、だとはまったく思っていません。大事なのは自分の性格にあった職場の雰囲気だと、快適に楽しく働けるね、ということです。残念ながらそれはその会社に入ってみないと分からないのですけれど、私のようなゆる〜い人で、自分が大目に見てもらえるなら人が何してても気にしない!と言う人には、イギリスの職場環境はとても合っているのではないかと思います。